へっぽこびんぼう野郎のnewbie日記

けろけーろ(´・ω・`)!

やりたいことができないのは前提ができていないからで、前提ができていないのはやりたくないからで、やりたくないのはめんどくさいから。

あるやりたいこと、というのは大体ツリー構造の頂点に立っている。

 WantToDo

    ├── ShouldDo_1

    │     ├── ShouldDo_1_1

    │     ├── ShouldDo_1_2

    │     └── ShouldDo_1_3

    └── ShouldDo_2

      ├── ShouldDo_2_1

      ├── ShouldDo_2_2

      └── ShouldDo_2_3

こんな感じ。

やりたいことが壮大で、自分の実力が離れていればいるほど、やらなければならないことが増えていく。

しかもその増え方は原理的に指数関数的である。

最終的に Xnのp乗 個*1の概念を理解しなければ、やりたいことを得ることはできない。

 

除法ひとつの理解をとってもこんな感じ(厳密ではないし、間違っているかもしれないけど)

除法

├── 乗法

│     └── 個数

│          └── 加法

│              └── ペアノの公理

│                  └── 数学的帰納法

└── 逆演算

 

やるべき前提のことというのは、できれば回避したいものだ。

なぜなら、やりたいことができればそれでいいのだから。

もし前提を使わずにやりたいことができてしまえば、前提は自分には必要のないものだからだ。

しかし現実的にそれは不可避である。

 

だからそれをやるしかないのだが、それをやるのはとてもめんどくさいのである。繋がりが見えないからだ。

割り算しようと思って、足し算から始めるなんて、たぶんどうして割り算ができるのか想像もつかないだろう。

山を登るために、まず家から一歩出たようなものだ。

この一歩が、山登りのうちに入ると言えるだろうか。

 (どことなく遠足は帰るまでが遠足、に似ている。)

 

そんなアホな例え話よりもっと現実に即した喩え話をすれば、

「野球の試合で勝つために丁寧に幾度も幾度も素振りをする。」

「壮大なゲームのプログラムを書くためにGUIプログラミングの勉強をする」

「英語を自由自在に操るために、英単語を覚える。」

大きな物事というのは、このような「小さなことからコツコツと」の物事に振り戻される。

 

「できない」「やりたくない」のトリガーは「めんどうくさい」である。

めんどうだからやらなくて、やらないからできなくて、できないからやりたくなくて、やらないからできなくて、できないからやりたくない。

 

面倒臭ささえ克服してしまえば、やれるようになって、できるようになって、やりたいことができるようになる。

ただそれだけでいい。(もちろん、省略可能な部分を無意味に継続することは意味のないことだ)

 

じゃあ、めんどくさいをいかにして克服すればいいのか?

それこそまさに小さなことからコツコツとのいい実例である。

 

しかし、「めんどくさい」は、「こうしたほうがいい」という概念が発現する前に生じた人類の叡智の根源である。

誰もがめんどくさがらなかったら、きっと今でも原始的生活を送っていたことだろう。

まぁ結局やるしかないんだよねってずっと言ってるけど、ほんとそれ。

 

追記:

sudo apt-get install tree

でファイルのツリー構造を表示できるようになる。

tree [directory]

と指定してあげると幸せになれる。

ディレクトリが巨大な場合は死ぬ。

*1:ただし任意のnに関して Xn >= 1、pは構造の階数、同名のXnが存在するときは計算に含めない