へっぽこびんぼう野郎のnewbie日記

けろけーろ(´・ω・`)!

むやみにアドバイスするのは良くないことだということ

人に何かを教えることはすばらしいことだと思う。

 

それまである技術・知識を会得していなかった人に、それを教えることで、

その人の能力が上昇するということは、

とても良いことなんじゃないかと思う。

 

翻って、「アドバイス」とは、「忠告・助言・勧告」と、つまり主観的な問題を含む。

技術・知識を教えることは、客観的なものであるが、アドバイスはその逆なのである。

 

具体的な言葉で表せば

「あなたはこうするべきだ」

「わたしは、こうしたほうがいいと思う」

「こういう風にしなさい」

のようなもので、

 

平たく言えば、これは広義の命令形に属する。

 

また、「考え方を教える」には、その両方が混在する。

「一つの考え方」というのは、「ある事実に対する一つの見解・意見」である。

したがって、このような概念の中に、絶対的な確からしさは存在し得ない。

 

要するに、一つのアドバイスとは、一つの意見であり、そして同時に、一つの強要である。

アドバイスは意見ゆえに、そこに論理的な正確さが含まれていないこともよくある。

 

また、「ある個人の考え方の集合」を「偏見」という。

アドバイスというものは、「偏見の一要素」でしかない。

 

もっとも、アドバイスは、ある個人の一つの指針であるから、

役に立つこともある。無意味ではないこともそこまで少なくはない。(=意味があることもある ← (-1)^4)

 

一方で、アドバイスの多くは無意味な言葉の羅列で綴られた、聞くに耐えない音楽だと思う。

それらのアドバイスは時代錯誤・誤解・無理解・無知等から成るものであり、

今の自分・相手にはそぐわない場合がある。

 

それから、人にアドバイスすることには、他にも弱点がある。

一つのアドバイスは、現在のその人の技術・知識から練られた一つの意見でもある。

 

ゆえに、その人よりも上等な技術・知識を持つ人の前では、全く通用しない場合もある。

そして意見ゆえに、そういう風に考えていない人から見れば、異端であるとされて、人間として嫌われる可能性もある。

 

アリストテレスはいいました。しらないことをしったと。

 

もし、自分がアドバイスを投げかけている人が、自分より遥かに優れているとして、

それを想像したならば、とんでもなく恥ずかしいと思う。

「わかってないな」と思われるだけではなく、そう思われていることに気付けない愚かしさがこれに潜んでいる。

それでは、絶対に成長しないだろう。

そして、こういう人は、ピエロである。

 

そこで僕は考えました。

じゃあどうすればいいのかと。

 

請われなければアドバイスはしない

  • 相手が必要としていないのに、自分から「こうしたらいい」と言うべきではない。他人の多くは、自分の意見を必要となどしていない。こういう情報は、その助言を必要とする人間だけに供されるべきである。ただし、「じゃあ相手が困っていそうなときにも無視するのか」ということとは別の問題である。

他人のアドバイスには、自分に害が及ばない限り反論はしない

  • アドバイスは偏見から繰り出されたものなので、反論をしたときに下手を打って、相手の存在価値を否定するように捉えられることもある。それに、うまいこと調子に乗らせておけば、有用な情報を引き出せて、おまけに人間関係もうまくいく。

もしアドバイスをしなければならない状況になったとしたら、あくまで「自分の意見」として主張すること

  • 「〜だと俺は思うよ」「あくまで僕の意見だけど〜」等を枕詞や語尾につける。必要以上につけるのは逆の意味に捉えられるので、あくまで最低限に添えるだけ。
逆に、人のアドバイスはよく聞く
  • 他人のアドバイスは、自分にとって役に立たないことも多いが、役に立つこともある。それに、自分が知らないことを知ることができるのだから、必然的に自分の思考の幅を拡大することにも発展する。

 

「アドバイスをするな」という極論ではなくて、

「軽率なアドバイスは身を滅ぼす」ということ。

 

あれ

でも

なんか

アドバイス自体がダメというよりも、

「軽率さ」がダメな原因の根幹な気がしてきた・・・