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へっぽこびんぼう野郎のnewbie日記

けろけーろ(´・ω・`)!

その人にとってあたらしい概念を説明するときにぼくが気をつけていること

はじめに

『16進数がよくわからないよ』という人に『こういうものだよ』と説明していたときに気付いた。
説明するときに『相手が暗黙的に了解していると信じすぎること』などについて。

相手が『その一点だけがわからないのだ』と錯覚しないこと

もっとも多いのがこれで、前提知識はあるはずなのに、なぜかここだけできてない、どうして!?という場合、
相手が『その前提』を違う考え方で理解している可能性があります。

子どもなどが、『よくわからない』となっているときは大体こういうときで、
教えている方が思いもしない概念でその結論にたどり着いた可能性が微レ存。
「どうしてわからないんだ」と嘆く前に、その『わからない部分』について、別の近傍の説明を用いるべきであるます。
自分が納得できた説明だけではうまくいかなくて、さまざまな角度から見なければいけないと思います。

わからない点ばかりに注視しないで、点の近傍をまんべんなく説明していくと何がおかしいかわかります。

キレないで、優しく話すこと

「わかった?」という一言をとっても、「わかった?(はよわかれよ……イライラ)」みたいな話し方をすると、
大抵の人は、完全に理解していなくても「わかった」と言ってしまうはずです。
たとえ大人でも多いです。

これに対して『それぐらいで……本人の資質の問題だろ』と片を付けるのは簡単ですが、
これは純然たる事実で、そんなことを言っても、教えられる側にとってはプラスになりませんし、教える側にとっては、『こいつはアホだ』と溜飲を下げられるくらいのメリットしか見当たりません。

そして、「わかった?(イライラ)」の後に
「さっきわかったって言ったよね!?」というのはまさに負のスパイラルのはじまりで、「どこまでわかった?」と聞くことが大事。
「わかった?」はYesNo型の質問だから、相手がわかってなくてもYesと言ったときに、その理解度を確認できないし、わかってなくても、どこまでわかってないか確認できないでしょう。
物事への理解度は別に二元的ではないので、いたずらに1と0のデジタル式で聞かず、
「つまりどういうこと?」「例えばこうだったら?」と問うた方が何倍も良いんじゃないかと思います。

逆の視点から見ると、相手に劣等感を与える方法は

  • 「わかった?」
  • 「さっきわかったって言ったよね?」
  • 「この前言ったじゃん!」
  • 「前にやったよね?」
  • 「なんで忘れたの?」
  • 「ほんとにマジメにやってる?」
  • 「なんでわかんないかなあ」
  • 「え、どうしてそうなるの!?」
  • 「そこでそうするの?」
  • 「それ違うから」
  • 「そのやり方はダメ」

などの言葉で、主に禁止・制限させるものです。集団対個人として洗脳にも使われる方法だそうです。

効果:相手は死ぬ。
自分の嫌いな相手にやると良いでしょう。

同時に、自分が教えてもらう立場に立ったときにこのような発言をもらったら、これらの発言はシカトした方がいいです。
そんなに簡単にシカトできるはずもありませんが、気にしたら負けです。
本当はあまりこういう人たちから教えを請うべきですらないのですが、そうせざるを得ないときもあります。
教えるとき、説明するときは、『どうして相手がわからないのか』をとっても考えなければいけません。

そもそも自分の理解も曖昧だったりする

人に教えているとよくわかりますが、自分の理解が既におかしいことがあります。
例えば相手がつまづいているところを深く考えてみると、自分もよくわかってないまま使っているということがあります。
人に聞かれてはじめて『え……あ…言われてみればそうだな……』ということがあるはずです。

概要をまず最初に説明する

『それは何の為に使うのか? なんでこういう概念が発生したのか?』という概要はかなり重要だと思っています。
例えば指数がよくわからない人に指数を説明する場合、2の7乗は128だよねと言っても、
『はぁ……そうですね……』となります。

2を7回掛けるという概念を獲得している人もいれば、
別に2を7回かける必要性とか感じないしという人もいれば、
とりあえず2^7という形は128という、よくわかっていないのに無理矢理覚える人もいます。

教える・説明するとは、優しい洗脳なのだということ

基本的に教えるとか説明するとかは、『自分の考え方』を相手に伝えるという、教える側が情報量を多く渡すようなコミュニケーションの一形態です。
だからこそ創価学会では池田先生などと呼ばれているはずです(ちなみに僕は学会員とかではありません)

教えることが押しつけと紙一重だということを知らなければ、人に教えることは難しいでしょう。
客観的に正しいことを言っているそのへんの誰かよりも、詭弁家や詐欺師、扇動家の言うことが信じられる理由はここにあるはずです。

そしてこれは持論ですが、
同時に自分も、『軽くて優しい洗脳の積み重ねの上で、自我・思考が成り立っていること』も自覚したほうがいいかもしれません。
おおむねそれは固定観念と呼ばれるもので、そうでない人から見れば自明なことでもその人にとってはそうではない、またはその逆もあります。
結果的に、自分を疑い相手を信じ、相手も疑い自分も信じるという根幹の思想が、大事なんじゃないかと思いました。
どのくらい疑えばよいのかの最適値はわかりません。



とまあ適当に書きましたが、おおよそこんなようなことに気を配っています。(なんか最後の方宗教的な物言いになった……)

おかげでよく「先生よりわかりやすい!」と言われることがありますが、大学中退なので教師になれない。