へっぽこびんぼう野郎のnewbie日記

けろけーろ(´・ω・`)!

わかったの壁

はじめに

べんきょうしていると「わかった」ような気分になる時があるけど、
「じっさいわかっていなかった」みたいなことが多いので、自戒をこめてかいてみる。

「しらない」と「わからない」の違い

言い古されていることなのでカット。

「つかえる」と「わかった」の違い

「つかえる」とは、できるようになったことで、
「わかった」とは、しくみを理解したということ。
基本的に「わかった」人は「つかう」こともできるけど。

わかっても、つかえない例としては、
たとえばサッカーを足のない人がするためには義足が必要だとか、そんな感じ
(べつに差別的な意味はない)

つまりスキルとは「しらない→わからない→つかえる→わかった」というような線形のものではなくて、
「しらない」から「つかえるつかえないという技術レベル」「わかるわからないという理解レベル」に
2つの分岐にわかれて、わかれつつも密接に関係しあっているので、
両者の現在の位置を統合したものを、「つかいこなす」スキルと呼んでいるのではないだろうか。

たぶん、ほんとうは、もっともっと複雑で、何千、何万と分岐が別れているのだろうが、
少なくとも「スキルレベルは線形である」と思い込んでいるよりは幅が広がる気がする。

わかったって使いこなせるわけじゃない

自転車をつくれる人が誰でも自転車競技でトップになれるわけではないように、
「使いこなす」のは、わかればいいというものではない。
でも、使いこなすには、やっぱりしくみをある程度知らなければならない。
すべてを知る必要はないけれど。

わからなくてもつかうことはできる

でも、応用がきかない。
わからないところを変更できないからだ。

反復がだいじっぽい

「つかいこなす」ためには、「わかった上で、いっぱいやる」ことが結局だいじっぽい。
別に反復が重要ではなくて、頭から無意識レベルで引っ張り出せるのならば、別に反復はしなくてもいい。
このへんは記憶術とかの技術だろう。
脳内データベースからいかに速くデータを引っ張りだすかという話だ。

抽象化されたものは「つかえる」と「わかった」の境界がわかりにくい

つかえるようになったとき、それを「わかった」と思うのは早計だ。
「つかえるけど、まだわかってはいない」と戒めるのが大切だ。

そして、
わかるようになったとき、それを「ぜんぶわかった」と思うのも早計だ。
「わかった」の下には、いつもそれよりも低階層の「つかえる」がたくさん潜んでいる。

抽象化されたものは、つかえるようになるだけで、たいへんだから、
「つかえる」と「わかった」の境界がわかりにくい。

「何かがわからない」から、つかえない。
「何かをつかえない」から、つかえない。
「何かをしらない」から、つかえない。

そのへんを、明確にしないと、「なんだかよくわからない」で終わってしまうのだ。
べんきょうは、

「これをしらない」から、わからないのだ。
「これを勘違いしている」から、つかえなかったのだ。
「これは筆者が○○を××だと表現している」から、わからなかったのだ。
「なにか自分に前提知識が欠けている」から、わからないのだ。

というバッドノウハウを獲得することで、
なんだかやっているうちに、どんどんべんきょうの効率があがるのだと、おもう。

わからないのは決してバカだからとかではない

わからないのは、しらないから、勘違いしているから、聞く気がないから、そんなはずはないと信じ込んでいるからとか、
そういった類のもののせいだとおもう。

したがって「彼は天才だからわかるのだ」などと逃げてはいかんのだ。
そう言ってしまえば、もう「天才」には絶対勝てないだろう。
だって「天才じゃない自分はわからなくてもいいのだ」という理論を誕生させてしまったからだ。

これの防止策とは

じぶんは無知だと知ることだ。
ありきたりな結論だけど、結局そうだったのだ。

「そんなことか。知ってるよ」というのは、まさにそれが早計だ。
「しってる」「わかってる」「つかえる」「つかいこなせる」は、ぜんぜん違うって言ったばかりなのにだ。

「無知であるという知を、使いこなせる」ようにならなければ、
どんなに偉大なことばも、陳腐なものにしか聞こえないのだなと、ぼくはおもった。