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へっぽこびんぼう野郎のnewbie日記

けろけーろ(´・ω・`)!

「一生懸命がんばったら成功する」なんて神話に踊らされてはいけない

雑記

先日、幸田露伴が書いた『努力論 』という本を読んだ。
書いてあることはまぁだいたい「努力しないなんてダメだぞ」なんていう説教なんだが、ほかの「がんばりなさい」という本とは違って
「ただ頑張っただけじゃダメなんだぞ」ということも書かれていて好感がもてた。

大前提『もし一生懸命頑張らなくてもできるようになるならその方がいい』

「一生懸命頑張るな」ということを言いたいのではない。

なぜ一生懸命がんばるのか?
それは「できる」ようになるためである。
つまり、できるようになるための、1つの手段として「一生懸命頑張る」という手段があるということだ。

この『1つの手段』という概念が重要で、つまり他にも手段はあるわけだ。

頑張りさえすればうまくいくのか?

『東京から大阪に行くのが目標であり、そのために頑張って腹筋をする』
という頑張りは、腹筋が鍛えられるだけで、大阪には辿りつけない。

これが、頑張りも方向を誤れば、達成することができなくなってしまうという例だ。腹筋はつくけど。

そもそも「一生懸命頑張ればできる」のではない。「できるために、やる」のだ

一生懸命とかはどうでもいい。

子どもをつくるためには基本的にはセックスしまくればいいけど、
セックスしまくったからと言って、子どもが絶対できるわけではないということ

『苦しめ』という呪文としての『一生懸命頑張れ』

「がんばった話」というのは、どうしても苦労話になることが多い。
そしてそれが曲解されて、『苦しみさえすれば成功するんだ』というように捻じ曲げられて伝わっているように思える。

頑張るとは『苦しむこと・耐えること・忍ぶこと』だと認識していてはいけない。
頑張るとは『目標に自分の体と頭をすべて捧げること』である。

そのがんばり方

一生懸命がんばっている人の中には、「なんのために」「どういう方法で」「このやり方でいいのか」と
Plan / Do / Act / Checkをしていない人が多い。
これはこまめにチェックして改善していかなければならない。
でないと、「あんなにやったのにできなかった」という見当違いの諦めを持つことになるだろう。

脳や体に『やり方』が刻みつけられたことしか『できない』

『プログラムはおもったとおりに動かない。書いたとおりに動く』という言葉に似ている。

「やったからできるようになった」というのは、論理飛躍である。
「やって、脳が記憶したり理解したりして、そうしてそれを引き出せるようになったので、できるようになった」のである。

できないのは「脳や体に刻みつけられていない」からである。
「いかにして脳や体に効率的に刻みつけるのか」というのを、個人的には『メタ学習』と呼んでいる。

自分は絶対にできるのだという確信

どんなに妄想めいたことであったとしても、「自分なら達成できる」という根拠なき確信は大変重要だ。
なぜなら「できない」と思いながら「できるようになる」ことはきわめて稀だからだ。

したがって、「できる」と思い込むことが、まず重要だ。
「勉強が好きだからできる」「恋人がいるからできる」とかそういう条件付きの自信ではよくない。

「できる。根拠はない」ドーーーーン

この確信が必要である。
「諦めたらそこで試合終了だよ」に似ている。

松岡修造めいた考え方を取り入れるのは最高に有益だと思う。

でも無理なものもある

『明日中にぼくが日本最速のマラソン選手になる』というのは明確に不可能である。
これはもうどんなに逆立ちしたってできない。

そういうものもある。

成功までに、どれだけ自分という資源をそこへ投入するか

「資源を投入する」とはぶっちゃけギャンブルである。
自分を投機するということである。

分の悪い賭けだろうが、やらないとできるわけがない。
でも宝くじ買わないと宝くじ当たらないでしょというのと同じなので、ぶっちゃけマジキチ言説な気がしてきた。

多くの人にとって、『自分資源』を全力で投資するのはマジキチなことであるらしい。
宝くじを買う人ですらそうなのだから、それぐらい成功する確率が低いのだと算出できているのだろう。
たいへん賢い人たちだ。

成功とは

ぶっちゃけ成功とはなんだ? チヤホヤされて、幸せにハッピーって生きたいのだろうか?
でもそれならぼくは、『覚醒剤でも毎日注射してあげればいいんじゃないの」と思う。
それでハッピーなのだから。

外から見たらハッピーじゃないだって?
でも現在の地球も、未来の人たちから見たら「え、この奴隷みたいな感じの暮らしで幸せを感じてたの?」のように思うかもしれないじゃないか。

ぼく

ぼくはいちおう前より色々やりはじめるようになった。
その最たる原因は「成功したい」とかじゃなくて「暇だから」なのが大きい。
「暇だからじゃあ自殺しよう」みたいな決断もできないので、だらだら学習を続けているといったノリだ。

メタメタしい世界の住人は「成功」とか「失敗」とかはどーーでもよくて
単にインプットされた目標を達成するためのロボットとして、この世を生きることが、
なんとなく最善の道なのかなとおもった。

おまけ

まぁできるためになんか色々やってたら「努力した」「一生懸命頑張った」とか言われるんだろうけど

にほんごむずかしぃ