Heppoko Binbo Yarou no Newbie Nikki

旧題: へっぽこびんぼう野郎のnewbie日記 #vZkt8fc6J

死にたい人は決して死にたいわけではないのと、死にたかったとしても絶望度が高くない人はたぶん死なないルートも選べる話

死にたい人が死を選ぶとき

「死にたい」と人が言うとき、人は「能動的に死ぬことを望んでいる」と解釈しがちだけど、基本的には「死にたい」は「つらいまま生きていたくない。死んだほうがマシだ」ということを表現していることが多い。

このへんは割と見過ごされがちで、特に「死にたい」と絶えず考えてる人ほど見落としがち。

「つらさを引き起こしていることを解消したい」であって、望んで死にたいわけではない。

もちろん中には「死の世界ってどうなってるんだろう……?死にたい!!」「来世はイケメンに!!!死にます!!」とかアクティブに死にたい奇特な人もいるだろうけど、たぶんレア。

普通の死にたい人は「つらいまま生きていたくない。死んだほうがマシだ」と感じていると思う。

それは裏を返せば「人生が楽になるなら生きていたい」ということであって、「死にたい」というのはつまり、その「できることなら本当は生き続けたいのに」という気持ちが本来あるのに、つらいことのせいで「生き続けたい」という気持ちが阻害されているのだと思ってる。

例をあげるとするならこんな感じ。

  • もしお金が10億円あったら生きられるのに
  • もしもっと美人だったら生きられるのに
  • もしもっと健康だったら生きられるのに
  • もしあのクソみたいな野郎が存在しなければ生きられるのに
  • もしもっと生きがいがあれば生きられるのに
  • もしあの人がまだ生きていたら生きられるのに

でも実際はそうじゃないから死にたい、これ以上はどうしようもないから死にたい、そんなことはわかっているけどそれをどうにかできるほど活力が湧かないから死にたい、というふうな気持ちが働いているはず。

ここを勘違いしてはいけない。この段階で「あ、そっか。自分って別に死にたいわけじゃないんだ」と感じられた人はもう勝ち確。

人生がハッピーな人は死にたいと思わない

当たり前のことなんだけど、人生がそれなりにうまくいってる人は、別に死にたいと思うことはない。

たとえ何のために生きているかわかってなくても「え?逆になんで死ぬの?わろすwww」ぐらいの気持ち。ふざけた野郎だ。

人間は本能レベルで生きるようにプログラムされているので、いま現在進行形で幸福な人生なのにいきなり自殺するとかはほとんどないはず。

死にたいほどの苦しさのレベル(絶望度)

「死にたいほどの苦しさ」にもいろいろあって、誰しもが死を選ぶレベルの苦しさと、大多数の人はそれを食らっても死にたいと思わないレベルの苦しさがあると思う。

ぼくの場合、金銭にまつわる苦しさだったので「10億円あれば死にたいと思わない」から始めて「1000万円あればまあそこまで死にたいと思わないけど、やはり死にたい」まで落とし込んで、「100万円だと普通に死にたい」と考えた。

それで「自分の死にたさは1億円ぐらいのレベル」と価格をつけた。

このあたりは大多数の人は別にこれを食らっても死にたいと思わないレベルのものだと思う。

ちなみに、鬱病の人はわりと死にたさに価格をつけることができると思うのでオススメしたい。自分の死にたさの価格が1億と判明したときのバカバカしさはすごい。

一方で「あの人が生きていないから生きている意味がなくて死にたい」とか「強姦されまくって逃げることもできない死にたい」とかは、もう計り知れないほどの苦しさだと思うので、解決方法もなく、死を選ぶのも仕方がないレベルになると思う。

自分から能動的に死ぬことを決断しないと、緩やかに環境から殺され続ける

ぼくはあまり自殺などに忌避感はないので、「自殺?いいんじゃない?でもなんで自殺したいの?生きることはできないの?まあ別にどっちでもいいけど」と思っている。

もちろん妻が自殺しようとしたら全力で阻止するけど、その他の人が自殺しても「あ、そうなんだ。なんかあったんだろうな。大変だったんだな」と思うぐらいで、「自殺はダメだ!!」という思想は持ってない。

だってそれしか解決方法がなかったのならしかたないんじゃね?って思う。中には「それくらいで死ぬなよ。解決方法たくさんあるだろ」というケースもあるけど。

死ぬことで問題が解決できることもあるし、何の救いのない話だけど、これ以上つらい目に遭う必要がなくなるのなら、自殺は一つの選択肢としてアリだと思う。

少なくとも「生きろ。この先もずっとつらいまま生き続けろ」って無責任に言うよりいいと思ってる。なんかそれはひどいと思う。

でももしかしたら「死にたい」と思う人の中でも、あえて死ぬ必要がない人もいるかもしれない。

「死にたい」という人でも、自分で生死を選択できる状況で「まだ死んでない」ということは、まだ生き続けたい何かが実はあるのだと思う。

その状態で、能動的に「生きる!!!」「死ぬ!!!!」を決めないと、「死にたいと思いながら生きてる」となって、すごくつらい。どうせこのまま生きてもつらいなら早く死んだほうがつらくないと思う。

なのでもし、

「なぜ死にたいという気持ちが起こったのか」
「なぜ死ぬことが私にとってのベストアンサーなのか」
「もし生き続けられたらやりたかったこと」
「死ぬ前にやっておきたいこと」
「具体的に何日の何時何分にいつどのように死ぬか(ロープで自殺するなら結び方はどうするべきか・どこで買うか・どこで吊るかとか、崖から飛び降りるならどこの崖にどの交通手段で行くか等)」

などを整理して「あれ、自分それほど死にたくなくね??」と思ったら、死にたいという気持ちはおそらくまやかしで、生きたい気持ちも結構あったりするはず。

そういう場合には

「こういう人生だったら嬉しいのに今はそうじゃないこと」
「問題を解決・環境を変えるために死ぬ以外にできそうなこと」

なども整理すると、一気に生きる方向に持っていける。とにかくこの時点で「あー、自分って死にたいわけじゃないんだな」と感じられればいいと思う。

ただ、死にたいときというのは、まずこの「自分の感情を整理する」という行動を取ることが難しい。めんどくさいしエネルギーも使う。

「ただ死にたいし、それ以外あまり考えたくない」という重度な状態もある。

死にたい気持ちが先行してしまって、「とにかくもう死にたい」「死にたいと思うことをやめられない」みたいなパターンもあるはず。

こういうのは文字だけで助けることはできないので、周りにいる人がケアすべきだと思う。まあ基本そんな人たちは存在しないんだけど(救いのない話)

それにもちろん、中には整理した段階でも「やはり死のう!」と思う人もたくさんいると思う。

ぼくには、すでに死のうと決めた人の行動を阻害する勇気はない。口だけで解決できる問題じゃないし、基本的には自分の人生には関係ないので、同情はしても、その人の人生に立ち入ろうとは思わない。

でも、どうせ死ぬなら、自分の決断に自信を持って、ポジティブに死んでほしいと思う。

ネガティブに死んでいくのは悲しい。

生きる方を選んだあと

死にたいときには選択肢は3つあって、「生きると決めて生きる」「死ぬと決めて死ぬ」「死にたいと願いながら生きる」があると思う。

死にたいけど生きている人の多くは、3番目の選択肢を、好きか嫌いかは関係なく選んでいる。それは学習性無力感からくるものであったりするけれど、実際には能動的に「保留する」という選択肢を選んでいるのだと思う。なので余計つらいはず。中にはこれ以外選べない、すごい不幸な人もいると思うけど……

でもせっかく生きるのなら、生きようとして生きた方が個人的にはちょっとだけオトクだと思う。つらいことは自分の力で跳ね除けたり、つらいことから脱出しなければいけないけど、ずっとこのままつらいなら、なにかを変えなければ、ずっと同じようにそのままつらいだけだと思う。

そのときに、自分の最悪な環境を嘆いたところでなにかが変わるわけではない。基本的に自分を助けてくれる人は「自分を助けてくれるような人」しかいないので、自分からなんとかするしかない。もちろん誰かに相談するとかもアリだと思うけど、社会や世間は基本的に誰も何も救ってはくれない。

ただでさえつらいのに、自分で行動してつらさを跳ね除けなければいけないのがつらいところだ。

ただ、どうせつらいなら、「つらさを跳ね除けるつらさ」を甘受した方が楽だと思う。

そして、いざ生きる方を選んだのなら、死ぬことなんか考えない方がいい。考えないのが一番いい。死にたいと考えるだけで闇落ちしてつらくなる。

生きる方を選んだのに死ぬ選択肢も含めて悩むと、後退するだけでなんにもいいことはない。(もちろん、死にたい人が死にたいことを考えないのは、そういう思考の癖がすでに構築されてしまっているのでむずかしい。でも、考えるな)

ひとたび「生きようとして生きる」ほうを選ぶと、わりと周りの景色が変わる。

死にたいときに見る窓ガラスは、死ぬための凶器になりうる物質にすぎないけれど、生きようとしたときに見る窓ガラスは、外の景色を移す透明な板に見える。

参考: ぼくが死にたいと思わなくなった理由

ぼくが死にたいと思わなくなった理由はいろいろあるけれど、まず大きいのは

「死ぬのも死ぬのでつらい」

ということで、死ぬのは普通につらい。そもそもそういうふうに人間ができてないので、恐怖とか痛さとかがはんぱない。

生き続けるのもつらいけど、死ぬのもつらい中で、どちらかを選択しなければいけないのは本当に苦痛でしかない。

でも生き続けるつらさは可変なことも多い。そういうわけで、ぼくの今は生き続けることで発生するつらさよりも、死ぬつらさの方が断然格上なので、死にたいと思わない。

ぼくの場合、「生きたいポイント」が増えたのは、「総労働時間の低下」「所持金銭の増加」「社会的地位の上昇」がかなり大きい。あと妻もできて、全体的な幸福度が上がった。

ぼくは地方に住んでいて古い価値観に囲まれて死にたかったけど、東京に出てきて死にたさが低下したので、環境の変化が劇的に変化をもたらすことも多いと思う。

地方で死にたいと思ってる人は、死ぬ前に都会に出てきてもいいんじゃないかなと思う。

もちろんここに至るまで順風満帆にきたわけではなくて、地道に「なぜ死んだ方がいいかの理由」を少しずつ消して「なぜ生きた方がいいのかの理由」を増やせたからだと思っている。

あとは

「人が死ぬことはそれほど重大な問題ではない」
「死にたいと思ってるやつに食われる牛とか魚の気持ち考えたことあんのか?????」
「自分が死ぬぐらいなら原因となったやつを殺す」

と思ったのもあって、死にたさはどんどん消えていった。

特に、死にたいと思ってるやつに食われる牛や豚というのは本当に不憫でしかない。

おわりに

そういうわけで、この記事が誰かの何かの活力につながることを祈ってます。

それから、「この記事のおかげで死ぬ決心がつきました!ありがとうございます!」とかそういうのだけはやめてください死んでしまいます。

30歳手前になって久々にマジな風邪をひいたのでやっておけばよかったこととか今後の対策などを共有してみる

はじめに

「風邪対策を怠った結果こうなりました」というアホな結果を公開しています。今後の自分への戒めとともに、対策の一助となれば幸いです。

タイムテーブル

経過日 日付 時間帯 感じ方
0 11/17(日) - 喉に違和感
1 11/18(月) 仕事終わりごろから喉に痛み。早めに寝ることにする
2 11/19(火) 未明 つらすぎて深夜に咳が出まくって起きる。加湿器を掃除するのがめんどくさかったけどつらかったので加湿器を掃除して加湿器をかけ、マスクをする。(35.9度)
病院へ。風邪と診断されて薬をもらう。この時点では「喉が痛くて仕事集中できないから休むわ〜」な状態でつらいけど余裕はある。(36.4度)
悪化。頭痛・微熱が発生。喉の痛みは収まり始める。咳はなくなる。寝るのとボーッとするのを繰り返す。治る気配がしないので翌日も休むことにする(37.2度)
3 11/20(水) 未明 悪化。頭痛・関節痛・鼻水・高熱(37.8度)で眠れない状態が続く。咳は出ない。
寝て起きては無限に苦しむ状態が続く。ネットしててもとにかく苦痛。生きている価値が見いだせない。食欲低下。
4 11/21(木) 少し楽になるが、頭痛が続く(36.6度)。喉が治りつつあるのか咳が出始める。トイレで手を洗おうとして「なんで自動で水が出ないんだ??」などという異常な思考を検知して脳のバグを体感する
NetflixとかYouTubeとかを見て楽しめるぐらいまで回復。ただし頭痛は続き、具合は悪い。難しいことを考えられない状態。
(ほうじ茶後)お笑い番組を見て笑えるぐらいまで回復。口数も増加。食欲も回復。
5 11/22(金) 喉の痛みは続くものの、思考がクリアになる。健康ってすばらしい。座っているだけで幸せ。咳はまだ出る。1日目の夜並の状態。仕事できるようになった
喉の痛み・鼻水が少し・咳はあるもののほとんど健康体。睡眠もただしくとれる
6 11/23(土) 喉の痛み・鼻水が少し・咳はあるもののほとんど健康

風邪罹患以前。風邪に対する前提知識についての誤り

いままで謎に

「風邪にかかった!」→「くすりだよ!」→「わーい!おくすり!風邪なおったよ!ありがとう!」

っていうイメージだった。全然違う。バカかと。アホかと。

重い風邪にかかったのがかなり久しぶりだったからか、今まであまりにも風邪のことを舐めてたことに気付いた。

風邪はマジでつらい。精神的・物理的にここ数年で一番つらかった。逆に今まで恵まれていたのかもしれない。

今まで「風邪ぐらいでwwww」っていう感じだった。全然そんなことない。風邪。風邪で人は死ぬ。なんならインフルエンザも舐めてた。風邪でこれって、インフルエンザはマジでやばい。死ぬ。

調べたら風邪というやつは、あるウイルスや細菌に対して人間の体が喉の痛み・鼻水・発熱などの免疫反応を起こすことを総称して言ってるだけで、そのウイルスとかの種類は200種類ぐらいあるそうではないか。だからウイルスの種類によってはつらかったりそんなにつらくなかったりするわけか。

なんならインフルエンザとかも風邪と同じで、違うのはウイルスの強さだけだと。

そして風邪はどのウイルスかわかんないからワクチンとかないし、基本的には自分の体がウイルスと戦って抗体を作り出して治すしかないと。「結局体を温かくしていいもん食って寝ろ」が最強だと。

風邪にきく薬がないとかわろたwwww わろた………

市販の薬は、解熱剤とか鎮痛薬とか炎症を抑える薬らしいので、別に風邪そのものを治すわけではないという。

「風邪でも絶対に休めないあなた」へのもののようだ。

風邪のつらさ

ほとんどの人は風邪のつらさを経験している。でもたぶん忘れてる。ぼくなんか完全に忘れてた。もうバカかと。

そもそも風邪、1日じゃ治らない。1日で治るのは風邪じゃねえ!!!!!!!!!!!!!

風邪にかかると、つらいのに寝れない。喉は痛いし、鼻水出てうっとうしいし、頭は痛い。

何かをやる気とかおきない。ずっとつらい。テレビ見ててもつらい。笑えない。本とか読めるわけがない。何が書いてあるか頭に入ってこない。結局頭を使わなくていいものばっか見ることになった。

そして寝てもあんまりよくならない。脳がバグってる。ずっとこんな感じ。

「何これ、風邪ってこんなつらかったっけ……あぁ……ぼくはもうすぐ死ぬんだな……」ってひたすら思ってた。

風邪への無対策

冷静に見直した結果「必ず毎年くるものなのに、なんで無対策だったの??? マゾなの? あえて自分を低稼働に追い込みたいの??」って感じた。

風邪にかかったあとで、風邪予防とは セキュリティ なのだと思った。「失って気付く健康の大切さ」というのを思い知った。治りかけのいま、ただ椅子に座ったりボーッとしていることが幸せでしかたない。

ぼくがしていたことは Windows XP状態でインターネットにつないでた ことだと思った。そりゃウイルスに侵入されますわって感じだった。風邪への意識のバージョンがあまりに古すぎた。

「空気の乾燥?加湿器の掃除がめんどくさいぜ!!🐹」
「エアコンのフィルター掃除?めんどくせえ!👀」

衛生に対する考えが甘すぎた。それから自分の五感への過信がすごかった。「いま喉乾いてないし水分とるのめんどいな」で先延ばしにしまくってた。その結果死んだ。

おかげで丸3日間無稼働だった。仕事どころか余暇すら潰れた。いいことがなんにもなかった。

今後は予防の第一策として、温度計や湿度計がなかったのでAmazonで買った。Primeだったので当日届いた。当日に届いたのは嬉しい。

人間、湿度の微妙なところまで五感でわかるほど発達してないので、さっさと文明の利器に身を任せたほうがいいなと思った。たぶんアラーム付きのとかを買ったほうがいいと思うけど、やすかったのでこれにした。

風邪にかかったときにやってよかったこと

部屋をしっかり暖かくする

寒くないと思っても暖房をつける。気温が15度ぐらいでも全然寒く感じてなかった。体感は全然あてにならない。

暖房の掃除がまだの場合、気力をふりしぼってとりあえず掃除する。正直室内の温度が低すぎる状態では今後戦えない。

「フィルターの掃除ができてないから暖房をつけない」みたいな戦略だとめちゃくちゃ長引く。フィルター掃除をサボった過去の自分を呪いつつ掃除するのが最適解。

服はしっかり重ね着する

暑いと思うぐらいがちょうどよかった。どうせ誰も見ないんだから遠慮なく変な格好をする。

初期の頃、温かくしたほうがいいってわかってんのに、なんかいつもとほぼ変わらない格好をしてた。つらさが回復してきたころに、自分はバカなんじゃないかと思った。

風邪ひいた初期の頃の自分に「いいからその上に何か着ろ!!!!!!」って言いたい。

加湿器などでガンガン加湿する。加湿厨と化す。

これは初期の頃からやってた。「加湿器掃除しないとな〜〜」と思いつつずっとやってなかった。そのせいで死んだ。

結果的に「掃除めんどくさい」というめんどくささがぼくの体をぶち壊したので、「めんどくさい」という感情は本当に怖いなと思った。「めんどくさい」で人は死ぬ。

喉風邪の場合、のど飴が神。龍角散やVICKSがそれなりに和らげてくれた

のど飴はかなりよい。治るわけじゃないけどやわらぐ。風邪になる手前の「ちょっと喉痛いな」ってときにもいいかもしれない。

うがい & 歯磨きは喉がマシになる

ずっとやってた。なのでやらなかったときと比べてどうなのかはわからない。でもたぶんよかったと思う。

鼻が詰まってる場合、お湯で顔を洗うとめちゃくちゃスッキリする。鼻水がめっちゃ出てきて爽快。

すごいよかった。鼻くそが大量にあるときにやったら気分の爽快感がレベチだった。鼻呼吸もしやすくなって、結果的にウイルスの侵入を弱まらせたとも思う。

温かいほうじ茶は神。汗が出て体温が上がり最高。頭痛も引く。

ぶっちゃけ薬とかよりもいちばん効いた。頭痛が治って食欲が出て元気になった。頭もまともに動くようになった。

温かいスープとかでもいいかもしれない。ただ個人的に、セブンで買った、伊藤園の温かいほうじ茶がすばらしかった。

水道水でお湯をつくるんじゃなくてミネラルウォーターの方がいい気がする(喉のイガイガ感が違う)

水道水でお湯をつくると、全然おいしくないしなんかダメだった。プラセボ効果もあるかもしれない。

なんとなくミネラルウォーターでお湯を沸かしたほうが無難だと思う。

部屋の換気をする。外の空気を吸っただけで気分がかなりかわった。

部屋の換気をして気分が変わった。一瞬寒くなるけどマシだった。部屋の空気が淀んでるので、外の空気と交換したのはよかった。

暖かい風呂には入ったほうがいい。スッキリ感が違う。体も温まる。

「風邪のときは暖かい風呂に入るな」とかいうのは昔の迷信らしい。しらんけど。

ちょっと熱めの温度がちょうどよかった。風呂は最高。風呂に入る前に着替えとか全部用意しておく。あと、髪の毛はきちんと乾かす。

水分を必ずとる

のどが渇いて無くても飲む。ただ冷たい飲み物ばかり飲むと体が冷えるので、温かいものを定期的に取るのがベスト。1時間に1回ほうじ茶とか飲めばいい。

「水分!水分!」としか考えてなかった結果、冷たいものばっか飲みがちだったので、「温かい飲みもの!暖かい飲みもの!」と狂ったように考えた方がいいと思う。

濡れマスクは喉に優しかったのでいっぱいあると嬉しい(もはや無限に買え)

プラセボ効果もあるのかもしれないけど、喉の痛みを抑えるのによかったと思う。ただ長時間同じマスクを換えずに使い続けるとたぶんダメだと思う。

おわりに

何かの参考になってくれればうれしいです。

毎月国境なき医師団に寄付しているけど、寄付のメリットとかを書いてく

経緯

ときどき気まぐれにWikipediaとかに寄付したり、コンビニでお釣りを募金箱に投下したりしたことはあったけど、1年ほど前から国境なき医師団に毎月寄付するようになった。

経緯として、初期の頃は気まぐれに3,000円払っていただけだったんだけど、定期的に払ったほうが精神的にいいなと感じたので毎月払うことにした。

定期寄付の最初の方は毎月1,000円払っていたけど、クレカの明細を見て高かった月に「毎月1,000円はそれなりに大きいな」と思ったので、寄付を続けられなくなるのも嫌だし毎月500円だけ払うことにした。なので年間6,000円で、10年たっても6万円なので、金額としてはそんなに大きくはない。

国境なき医師団を選んだのは子どもとかいろいろ救えそうだし、現場の医者すげーなちょっとだけ応援しますっていう感じで選んだ。とくに大きな理由はない。

以下に書くメリットは、あくまで個人目線でのメリットなので、「寄付!崇高!世界を救おう!」な感じではないです。

メリット

自分の生きる価値を高められる

自分が無価値だと感じたときにでも「無価値でも他人の命を救っている」と考えることができて精神衛生的によい。保険みたいなものなので大きくは変わらず、微増。ただ、生き続ける意味の1つにはなりうる。

募金の類のものに対して、払わなかったときの罪悪感が薄くなる

「募金おねがいしまーす」みたいなものを見たときに、寄付しなくても罪悪感がわきにくくなる。

「大変なのはわかるけどこっちもそんなにはリソース割けないからすまぬ」というぐらいの気持ちになる。一切罪悪感みたいなのが消え去るわけではないけど、毎月0円のときと比べると圧倒的差がある。

人の命を救うためにお金を出しているという気持ちよさがある

自分のお金が何人かの命を救っていると考えると「いいことした」という気分になれる。

500円だとはしかのワクチン20人分なので、極端なこというと毎月命を20人救ってると考えられる。クレカの明細を見たときや国境なき医師団からメールが飛んでくるときにちょっとうれしくなる。

何かの喧嘩とかで「寄付もしてないくせに」みたいに突っかかってくる謎の輩に対して思いも寄らない反撃を打てる

「みなさんの中で毎月寄付している方はいますか?(嘲笑)」って言われたときに「10年間毎月してますけど、何か?」って言えたらカッコイイ。長い人生の中でおそらく数回はあると思うのでその日の痛快さを夢見て寄付できる。

世界情勢に関心を持てる

ユニセフがどう・国境なき医師団がどうというニュースを見たときにちょっと集中して見れる。

難民問題とか貧困問題とか。

デメリット

自分で自由に使えたはずのお金がなくなる

これが一番のデメリット。手元からお金がなくなる。

たとえば月500円あったら、毎月カップアイスを5個余分に買えるし、毎月本を1冊余分に買えるし、月額のアプリを契約できるし、安い音楽・動画サービスとかも契約できたり、外食するときに1ヶ月に1度だけサイドメニューを1品増やすこともできる。これがこの後の人生もずっとつづく。

寄付による税金控除は、月額が少なければ大した額じゃないので、むしろ確定申告の方がめんどくさい。

DMやメルマガがうざいやつとかがある

Wikipediaが酷かったけど、「あなた寄付しましたね!?本当にありがとう!寄付してください!」みたいなメールが来てて、寄付しがいがなかった。

まぁこれはちゃんと寄付先を選べば回避できるハズ。

寄付先がわけのわからん反社団体もどきだったときはダメージがエグそう

犯罪の補佐をしてたみたいな感じになってしまって精神が破壊しそう。

寄付先はちゃんと選ぶべき!!NPO法人だからといって安易に信頼しない。

毎月寄付するために

やっぱり自分が「これだ!」って思うものに対してしかずっとは寄付できないんじゃないかなーと思う。

国境なき医師団にしても「別にソマリアの人たちが何百万人死のうがどうでもいいんだけど」って思ってたら寄付できないはず。

ソマリアの人たちがどうでもよくても

- 植林を援助したい!
- DVを減らしたい!
- ホームレスの炊き出しを援助したい!
- 子どもが勉強できる環境をサポートしたい!
- 不登校の子どもの手助けがしたい!
- 殺処分されてしまうネコを救いたい!
- 日本で災害にあった人を援助したい!

とか、自分の胸に刺さる社会問題とかはあるはずなので、いろいろ寄付先団体の中から、自分が「これだああああ」と思う団体を探してそこに突っ込むのがいいと思う。

「寄付=ユニセフ!」みたいなイメージ強いけど、国内向けに寄付するのとかいっぱいあるので一度探してみるのオススメしたい。

イライラしたときにも「とりあえずストレス発散に寄付して人でも救うか」というメンタル構造にすると結構良いのでオススメ。

ただ、中には募金詐欺とかあるのでそういうのはちゃんと調べたほうがいいかも。

まぁそんなわけで、「寄付って意外と、お金がなくなって損するだけじゃないよ」という話でした。

リンク

www.msf.or.jp

たわむれにC言語のポインタで遊んでみた

はじめに

C言語のポインタって、違う意味の操作なのに * を使いまわしてるからわかりにくくなっているんだと思う。

あと「ポインタ」っていう名称もよくない気がする。ポインタっていうと普通矢印を思い浮かべるので、「ポインタに代入」っていうと「矢印に代入」という意味っぽくなって混乱する。メモリアドレス型って呼んでおけば「このメモリアドレス型変数xの指し示す先(ポインタ)は2」みたいに言えたのに…って思う。

なので、人に教えるときに無理に「ポインタ」という言葉と結びつけて教えると矢印地獄にハマる。

↓こう書ければいいのにって思った。(たぶん世界一わかりやすい)

#include <stdio.h>

int main() {
    int k = 1;
    int{pointer} m = (address)k;
    int{pointer}{pointer} e = (address)m;
    printf("%d\n", (value)m);
    (value)m = 4;
    printf("%d\n", (value)m);
    return 0;
}

ちなみに↓と等価

#include <stdio.h>

int main() {
    int k = 1;
    int* m = &k;
    int** e = &m;
    printf("%d", *m);
    *m = 4;
    printf("%d", *m);
    return 0;
}

個人的に int *x = 4 みたいに、xのすぐ左にアスタリスクつけてる慣習も嫌だなーって思う。

int* x の方がいいと思う。だって int *x だと *x っていう変数っぽく見える。 int* の方が重要視されるべきだから、 int* x のほうがよくない?

ポインタとして使うときも x = &y みたいに使うじゃん。まあ今更変えようがないだろうしどっちでもいいけど……

あそんでみた

#include <stdio.h>

void change(int* b, int v) {
    *b = v;
}

int main () {
    // 普通に変数代入
    int a = 1;

    // ポインタを宣言するアスタリスク
    int* x;
    // アスタリスクは↓こうつけてもかまわない。意味はおなじ。こちらの方が慣習的に多いイメージ
    int *c;
    // ポインタとして使うときはアスタリスクをつけない
    c = x;

    int* y = &a;  // &によって、変数aのアドレスを取得する
    x = y;

    printf("-------------- ポインタを表示してみる ------------\n");
    printf("&aの値: %p\n", &a);
    printf("yの値: %p\n", y);
    printf("xの値: %p\n", x);
    printf("cの値: %p\n", c);  // ポインタ変数xを宣言したときの初期化してない値が入ったままなのでここだけ値が違う。

    printf("-------------- ポインタが指す変数の値を取得してみる。このアスタリスクとポインタ宣言するときのアスタリスクは意味が異なるので混同しないように注意。 ------------\n");
    printf("*yの値: %d\n", *y);

    printf("-------------- ポインタのポインタ ------------\n");
    // ポインタへのポインタを宣言する
    int** z = &y;  // yはすでにポインタなので、&yはこのポインタのアドレスとなる。なのでポインタのポインタに代入できる。
    printf("zの値: %p\n", z);
    printf("*zの値: %p\n", *z);
    printf("**zの値: %d\n", **z);

    printf("-------------- 左の式と右の式の両方でアスタリスクを使ってみた。[再掲] *zのアスタリスクによって「ポインタのポインタ」が指す変数の値(=つまり単なるポインタ)を取得しているからpに代入できていることに注意。左式の*と右式の*を同じ意味で捉えると詰む ------------\n");
    // &aであるようなポインタ*zを、pに保存する
    int* p = *z;
    printf("*pの値: %d\n", *p);

    printf("-------------- 実際の値を変更するためのアスタリスク。ポインタ宣言じゃないよ! --------------\n");
    *y = 4;
    printf("yの値: %p\n", y);
    printf("*yの値: %d\n", *y);
    printf("**zの値: %d\n", **z);

    printf("-------------- ポインタのポインタの、実際の値の実際の値に3を代入した -------\n");
    **z = 3;
    printf("*pの値: %d\n", *p);
    printf("**zの値: %d\n", **z);
    printf("aの値: %d\n", a);

    printf("-------------- 関数の場合もそれはかわらない -------\n");
    // 以下はすべてアドレスを渡している
    change(&a, 0);
    printf("aの値: %d\n", a);
    change(y, 5);
    printf("aの値: %d\n", a);
    change(*z, 9);
    printf("aの値: %d\n", a);

    printf("-------------- もっと遊んでみる -------\n");
    int* *r = &*&y;
    **&*r = 10;
    printf("rの値: %p\n", r);
    printf("**rの値: %d\n", *&**r);
}

tmux開こうとしたら Reason: image not foundって言われた件について

➜  tmux
dyld: Library not loaded: /usr/local/opt/libevent/lib/libevent-2.1.6.dylib
  Referenced from: /usr/local/bin/tmux
  Reason: image not found
[1]    1773 abort      tmux

↑こんなかんじ。

見に行ったらなんかlibeventがアップグレードされてた。なにかのライブラリ入れたときにはずみで入ったのかね。しらんけど。

cd /usr/local/opt/libevent/lib/          
➜  ls
libevent-2.1.7.dylib          libevent_core.a               libevent_extra.dylib          libevent_pthreads-2.1.7.dylib
libevent.a                    libevent_core.dylib           libevent_openssl-2.1.7.dylib  libevent_pthreads.a
libevent.dylib                libevent_extra-2.1.7.dylib    libevent_openssl.a            libevent_pthreads.dylib
libevent_core-2.1.7.dylib     libevent_extra.a              libevent_openssl.dylib        pkgconfig

tmuxをupgradeしたら動くようになった。

➜ brew upgrade tmux 
==> Upgrading 1 outdated package:
tmux 2.9a -> 2.9a_1
==> Upgrading tmux 
==> Downloading https://homebrew.bintray.com/bottles/tmux-2.9a_1.mojave.bottle.tar.gz
==> Downloading from https://akamai.bintray.com/a6/a6c847ffc57c9e6d730b1dcfb3ca193588cfdb679a60f221a41690ac8ec202a7?__gda__
######################################################################## 100.0%
==> Pouring tmux-2.9a_1.mojave.bottle.tar.gz
==> Caveats
Example configuration has been installed to:
  /usr/local/opt/tmux/share/tmux

Bash completion has been installed to:
  /usr/local/etc/bash_completion.d
==> Summary
🍺  /usr/local/Cellar/tmux/2.9a_1: 10 files, 748.5KB
Removing: /usr/local/Cellar/tmux/2.9a... (10 files, 748.5KB)
➜ tmux

なおったけどなぞす

プログラマにとって直感ってけっこう大事なんじゃないかって思った話

脳の話

この前なんとなく脳の構造についての本を読んでいたら、半側空間無視という言葉を見かけた。大脳半球の一部にダメージがあると、片方の目で見えているものを認識できなくなるというものらしい。認識できないというのは「存在していないように感じられる」ということで、たとえば、時計の半分を見てそれが時計のすべてだと感じるようになるのだという。

また、てんかん治療の手術として、分離脳手術をおこない、左脳と右脳で情報交換する脳梁を切断すると、右目ではりんごが見えていて「これはりんごだ」と答えられるけど、左目でりんごを見たときは言葉にできないというものもあった。これはまず、延髄で交叉支配が起こることによる(右目で見たものは左脳へ情報が送られ、左目で見たものは右脳へ送られること)らしい。その後、ふつうは脳梁によって情報の移動が起こるはずなのだけど、脳梁が切断されていると情報の交換が起こらず、左目で見たときは左脳にある言語機能を活用できないために「りんごだ」と表現できないというものだ。ていうか脳梁切断しても人間って平気なのな。タフだな。

その他にも、前頭葉に損傷があると性格が野蛮になるということがあるようだ。クモ膜下出血(クモ膜とは脳と骨の間にある膜のひとつで、頭蓋骨と癒着した硬膜よりも内側にある、クモの巣状の繊維がついている膜のことをいうようだ。だから、このへんの血管がなんらかの原因で破裂したら脳の機能に異常が生じるというのはすごくありそうな話だ)が起こると意識障害が発生したり歩行困難になったりするようだ。まんまコンピュータの物理障害みたいな感じ。

また、パイロットがよく陥る空間識失調というものがあり、ふつう人間はリンパ液の流れを三半規管内の細胞が感知して「いまどういう向きか」というのを正しく知覚するらしいのに対して(要はジャイロセンサー)、大きな重力加速度がいろんな方向からくると三半規管が狂い、「空か海か」がわからなくなり、上昇しているつもりが墜落するという悲劇を引き起こすものがあることも知った。ちなみにこのとき、パイロットは自分の感覚よりも計器を信用しなければいけないらしい。

こんな感じの書物を読んでいると、自分の脳があんまり確かなものではないように感じてくる。というか相当不確実なものとして感じ始められる。なんか全力で生きて全力で考えているように思っていても、その実、自分が思っているより自分の頭の中で考えてないんじゃないかというふうに思う。

そのままその本を読みふけっていると、小脳でも神経がどーのこーので体を動かしていて…と出てきて、自分が思っている以上に勝手に脳が自分の体を動かしているような感じさえ受ける。たとえば「なんかイライラする」というとき、人間関係のイライラだったり具合が悪かったり寝不足だったり悩み事だったりいろいろあるけれど、結局はなんらかの刺激によって不快を感じているだけだというところに焦点を合わせると、少しおもしろい。

そういうわけで、脳の使い方の限界を自分で規定せずに、はっきりと顕在化している思考以外の部分を積極的に活用しようと思い始めた(じゃっかんオカルトっぽいけど、Fast&Slowみたいなタイトルの本に書いてあったシステム1とかシステム2みたいな考え方を導入したみたいな感じ)

こんな感じで、よくわかんないけど最近脳に興味ある。もっと他にやることあるだろうに。

雰囲気でコードを書くようにしてみた

コードを書くとき、ぶっちゃけあんまり思考したくなかったのでちょうどよかった。というかコードをあまり書こうという気持ちにすらならない。そもそもできるだけ書きたくない。いっぱい書くといっぱいバグるのでいっぱい書きたくないというのが根底にある(基本的にめんどくさがり屋だし)

例えるなら、ゾンビがコード書いてるみたいな感じでコード書いてる。

なるべく書かなくていい方法を探すことにして、なんとなく良さそうなライブラリだのを使うようにしてみた。Advancedコピペとでも言うべきか。コピペ最高。先駆者が血みどろの戦いで残してくれた資産を活用できるのはありがたい。

でも、それでも書かなくてはいけない場合もあって、そういう場合はしかたなく書く。これが相当めんどくさい。めんどくさいものはわりと原理的にめんどくさいことが多くて、めんどくささと戦わなければいけないのがすごくめんどくさい。でも基本的にめんどくさいと感じるときは、やらなきゃいけないことの量が予想外に多そうという判断のことだと思うので、大事なことが多いなと感じている(パワーか知識で殴るしかない)

それからコードを書いていると、ときどき「ん?」と感じることがある。

自分の実感として「ん?」と感じたときは考慮不足な箇所だったりすることが多くて、たいていそこがバグる。今までは割とこういうのをスルーしてきたけれど、スルーして悲惨な目に何度もあったので、なるべく心の声に耳を傾けるようにし始めた(ものすごくオカルトっぽい)

まぁでも「ん…? まぁいいか……ここめんどくさいし…大丈夫でしょ!」と感じたところは結構大丈夫じゃないことが多いような気がする。しいていうなら「ん?」は、かなりめんどくささのレベルが高いやつって感じ。

こんな感じで雰囲気でコードを書いていると、罠とかに気づきやすくていいんじゃないかとおもった。雰囲気でって言うとなんかちょっと違う気もするけどまぁいいや←

結論

文章にまとまりがなくて、なんで直感が大事かという部分にあんまり言及できてない気がするけど、プログラマにとって直感はだいじだとおもった(たぶん)

つたわれ

TikTokを「ティクトク」と発音すると笑われる風潮をなんとかしたい

公式でTikTokをティックトックと書いているからか、ティクトクと発音すると「ティックトックだよ」と言われる。

だがちょっとまってほしい。

TikTok という言葉はおそらく Tick-Tock からきてるのだと思う。発音も同じだし。

ejje.weblio.jp

これは日本語で「チクタク」「カチカチ」などという。

おじいさんといっしょにチク・タク チク・タク♪

のように言う。なので別に「ティクトク」とか「ティクタク」と言ってもかまわないはずだ。ティクタクだと通じないから言わないけど。

「でも公式で言及されてるからwww」に対して

公式名としてティックトックなのは理解できる。別にティックトックって読んでる人がおかしいと言いたいわけではない。

でもティックトックって言うのめんどくさくない?「ティ・ッ・ク、ト・ッ・ク」って言うのつらくない?長いと思う。「6モーラ+数瞬の区切り」って超長い。

それに比べると「ティク・トク」は2音節なので超ラクラクラク

日本語ナイズしたとしてもティの次のクはほぼ脱落させて、最後のクだけ明示すればいいから「ティk・ト・ク」の3モーラぐらいに圧縮される。「ティ・ク・ト・ク」でも4モーラになる。

普段はぼくはこの3モーラの「ティkトク」を使う。超便利。

だいたい日本語って、3モーラか4モーラに言葉が略されるわけじゃん。なんでティックトックだけティックトックで許容されてるの。

カジュアルな会話でプレステのことわざわざ「プレイステーション」って言って会話しないじゃん。

「昨日プレイステーション2買ったんだよ」
「まじで!なんでいまさらプレイステーション2買ったの?」
「プレイステーション2で桃太郎電鉄遊びたかったからさ」
「桃太郎電鉄おもしろいよねー」

って言わないじゃん。絶対略すじゃん。「桃鉄」だってそう。

そういうわけでぼくはこれからも「ティクトク」と発音していきます。

てか「○ッ△☓ッ▲」っていう言葉は日本語で略せなくて長くせざるを得ないんだろうなと思う。「キットカット」とか「やってみっか」とか「ウッドデッキ」とか「おっきおっき」とか