知っていると思っていてもいつのまにか時代遅れになっていることがある
- 「洗濯のしかた」(洗濯ネット使ってるかどうか)
- 「アイロンのかけかた」(霧吹きだのスチームだの理解出来てるか)
- 「掃除のしかた」(重曹とか使ってるかどうか)
- 「赤ちゃんの育て方」(昔と変化しまくってる)
- 「筋肉の付け方」(やみくもに筋トレするのよくない)
- 「JavaScriptの書き方」(ES7になろうとしている)
- 「ポケモンの数」(700こえた)
- 「温度計の使い方」(赤外線で1,2秒程度で計るやつもある)
- 「ドライヤーでの髪の乾かし方」(毛先から乾かすとハゲ死)
- 「O/Rマッパーはクソ」(確かに昔はクソだったけど)
- 「鎌倉幕府の成立年」(1192年じゃない)
これらの知識を得たのはいつかというのを考えると、どれもこれもが、遠い昔に覚えたものだったりすることがある。
具体的に言うと、ぼくたちは、洗濯の仕方そのものを知っているわけではなくて、
知っているのは、洗濯の仕方について現在最適解と思われるもの version: 西暦1998年 locale:実家なのである。
つまり、ものすごく知らないと換言しても過言ではないというわけだ。
知識のバージョンアップをする
IT関連の知識だけでなく、ほとんどすべての分野の技術は大幅に進歩していたり、そもそも最初に学習したものが間違っていたということもある。
たとえば、うちのおかんはたまねぎのむきかたを知らなかったので、なんと手だけでたまねぎの皮をむいていたのだ。
だから、知識のバージョンアップをはかるために、とりあえずググってみることが大変有効だと気付いた。
ひたすら調べていくのはさすがに時間のムダなので、ひとまず人々が有用だと感じている結果をある程度信用して、知らないことを吸収していくべきだ。
めんどくさくないと思っていたことが、実はめんどくさかった
たまねぎのむきかたなんて如実にこれを表しているが、別にたまねぎのむきかたなんて知らなくても、ちょっと時間かければ皮なんてむきかたしらなくてもむけるので、知らなくてもめんどくさくなければそれでいいけれど、知ればめちゃくちゃ楽になって、ハッピー極まりないものである。
知らないことによる効果
いままでメリットばかり述べてきたけど、知らないままでいることによる強烈なデメリットも存在する。
たとえば、シャンプーのしかたなんて知らなくても生きていけるけど、ダメなシャンプーのしかたをしているとハゲるのである。
ここで「えっ?!!!!!!!」となった人は、つまりシャンプーのしかたについて現在最適解と思われるもの version: 西暦1992年 locale: 実家しか知らないということだ。
なので調べるとハゲなくなって幸せだよということ。
まとめ
知識には時代と通用範囲が必ず存在するので、知っていることですら、うわ自分ここまでは知ってるけど、それ以降どうなってるか知らないから全然知らないかもと疑うといい気がする。