へっぽこびんぼう野郎のnewbie日記

けろけーろ(´・ω・`)! #vZkt8fc6J

電車での席確保で必死になってしまう理由について、知らない人にもわかりやすいように解説してみた

ラッシュの間立ち続けるのと座れるのでは疲労度が根本的に全く違う ―― 都市圏電車通勤の人の声

ラッシュ時に立ち続けるのはしんどい

電車の車両の定員は、あの狭い空間でだいたい140人程度となっている。ラッシュ時にはそこに300人以上が乗る。それが15両ほどあるので、1つの電車に4500人程度が乗っている計算になる。

↓簡単にいうとここに300人が乗る(厳密には違うけど)

http://www.uraken.net/rail/chiho/chihoku/cr75f.JPG

日本を走る鉄道車両図鑑 - 日本の旅・鉄道見聞録 から引用

300人という人数は多いので、人間の頭では微妙に想像しにくい。

中学校や高校でいうなら、最近は30人クラスなので10個のクラス分の人数であることを想像すると、わかりやすくなると思う。

1学年5学級程度の規模の学校の2学年分の人数が押し込められていることになる。

卒業式の在校生練習などを思い出してほしい。あの人数が、この車両1つに入るのだ。狂気としか形容しようがない。

ともかく、狭い車両に300人が乗るということはつらいことだ。まず人間と人間がギュウギュウ詰めで体が痛い。衛生的にヤバそうな人とも接触しなければならない。

そういう状況に300人がなっている。

なのでみんなストレスが異常なことになっている。

こうしたストレスをみんな理性ギリギリのところで抑えている。だから、みんな人を思いやる余裕などない。

そういう状況で、ドカドカ入ってこられたり、ぎゃあぎゃあ騒がれたり、喧嘩が勃発したり、イヤフォンから音漏れがあったり、電話しているやつがいたりして、ストレスはさらに強化される。そういう状況が、1時間、2時間と続く。さらに帰りの電車もある。

これが毎日続くのだ。20日×12でだいたい240日続くのだ。

そしてこう思う。「もうダメだ」と。

しかし人間は、そんな絶望的な状況で活路を見出す。

席に座ることができるエリート

電車には座席が多くある。多くと言っても、だいたい36人程度分しかないが、ともかく座ることができる。300人中36人だけが、座ることを許される。

座れることはそんなに嬉しいのか?もちろん嬉しいにきまっている。

ひとたび座れると、その恩恵は凄まじいものだ。第一に、まず人と接触しなくてもよい。全く見知ってもいないし、わけのわからない、人生において少しも関わらないであろう謎の人たちとの接触を、しなくてもよいのである。

また、座れることによって自分のスペースを確保できる。そのスペースは立っている人の3倍ほどになる。本も気にせず読めるし、スマホを触っていても「迷惑だな。殺すぞ!」と思われない。立っていて死にそうになっている人を横目に、自分は優雅に通勤・通学できるのである。

「席に座れる」ということは、立つことに比べてそれだけ価値が高いのである。

だから必死になる。

「席に座れる」ような場所に住むためには、家賃をたくさん払え

席を確保するための仁義なき戦いは、実は住む家を決める前から決まっている。混雑率が異常な路線周辺の家々は、全然混雑していない家々の家賃と比べて圧倒的に安いのである。

もちろん会社の出社時刻にもよるので、10時に出勤していいようなところだと、混雑する路線でもそうした仁義なき戦いとは無縁でいられる(ただし帰りは除く)

基本的に「ラッシュ時に席確保に必死になるなんてあさましい」という人は、そうした混雑とは無縁でいる。

そういう人は、席に座れるという価値を低く見積もっている。「全く座れない×長時間×毎日」を解消するために、生活レベルが下がってもいいから家賃の高い場所に住んだり、給料は下がってでもいいから東京を出て地方都市に住む人々もいる。

だから、根本的に電車の混雑というのは社会問題である。個人の力で脱出できるとはいえ、それには金がかかる。

言い方は悪いがラッシュが「現代の奴隷船」というのは本当にその通りだとしか言いようがないのである。

それでも席取りの必死さは確かに気持ち悪い

もちろん、席の確保に必死になる様子は見ていて気持ちのいいものではない。

「人間あそこまで落ちたら終わりだ」というような奪い方もある。「妊婦?乗るな!邪魔だ!死ね!」「犬を乗せるな!邪魔だ!帰れ!(盲導犬)」と言う人は犯罪的なレベルで下劣だ。

こういう人たちを擁護する気持ちは一切ない。ただし「妊婦が邪魔」「犬が邪魔」と心の隅でふと思ってしまう気持ちはわからなくもない。

解決方法?

会社にわざわざ通わずに仕事ができるリモートワーク(テレワークともいうらしい)や、出社時間をフレックスタイム制にする方法がある。政府は推進しているけど、そこまで機能しているとは思えない。

学校にしたって何も絶対8時からやらなければいけないわけではない。

もちろん解決するためにはいろいろな問題が山積みだったりする。「うちの会社でそういうのは原理的に絶対無理!」ということもある。

とにかく「席取りごときに必死」という、貴族的立ち位置から単に罵倒するのでは、「自分はそれとは無関係だとする優位性」を示しているだけに過ぎない。

そうではなく、「席取りに必死にならなければいけない都市社会」という問題がただ目の前に堂々と立っており、日本の社会を蹂躙しているだけであるという認識が、ぼくたちには必要なのだと思う。