死にたい人は決して死にたいわけではないのと、死にたかったとしても絶望度が高くない人はたぶん死なないルートも選べる話

死にたい人が死を選ぶとき

「死にたい」と人が言うとき、人は「能動的に死ぬことを望んでいる」と解釈しがちだけど、基本的には「死にたい」は「つらいまま生きていたくない。死んだほうがマシだ」ということを表現していることが多い。

このへんは割と見過ごされがちで、特に「死にたい」と絶えず考えてる人ほど見落としがち。

「つらさを引き起こしていることを解消したい」であって、望んで死にたいわけではない。

もちろん中には「死の世界ってどうなってるんだろう……?死にたい!!」「来世はイケメンに!!!死にます!!」とかアクティブに死にたい奇特な人もいるだろうけど、たぶんレア。

普通の死にたい人は「つらいまま生きていたくない。死んだほうがマシだ」と感じていると思う。

それは裏を返せば「人生が楽になるなら生きていたい」ということであって、「死にたい」というのはつまり、その「できることなら本当は生き続けたいのに」という気持ちが本来あるのに、つらいことのせいで「生き続けたい」という気持ちが阻害されているのだと思ってる。

例をあげるとするならこんな感じ。

  • もしお金が10億円あったら生きられるのに
  • もしもっと美人だったら生きられるのに
  • もしもっと健康だったら生きられるのに
  • もしあのクソみたいな野郎が存在しなければ生きられるのに
  • もしもっと生きがいがあれば生きられるのに
  • もしあの人がまだ生きていたら生きられるのに

でも実際はそうじゃないから死にたい、これ以上はどうしようもないから死にたい、そんなことはわかっているけどそれをどうにかできるほど活力が湧かないから死にたい、というふうな気持ちが働いているはず。

ここを勘違いしてはいけない。この段階で「あ、そっか。自分って別に死にたいわけじゃないんだ」と感じられた人はもう勝ち確。

人生がハッピーな人は死にたいと思わない

当たり前のことなんだけど、人生がそれなりにうまくいってる人は、別に死にたいと思うことはない。

たとえ何のために生きているかわかってなくても「え?逆になんで死ぬの?わろすwww」ぐらいの気持ち。ふざけた野郎だ。

人間は本能レベルで生きるようにプログラムされているので、いま現在進行形で幸福な人生なのにいきなり自殺するとかはほとんどないはず。

死にたいほどの苦しさのレベル(絶望度)

「死にたいほどの苦しさ」にもいろいろあって、誰しもが死を選ぶレベルの苦しさと、大多数の人はそれを食らっても死にたいと思わないレベルの苦しさがあると思う。

ぼくの場合、金銭にまつわる苦しさだったので「10億円あれば死にたいと思わない」から始めて「1000万円あればまあそこまで死にたいと思わないけど、やはり死にたい」まで落とし込んで、「100万円だと普通に死にたい」と考えた。

それで「自分の死にたさは1億円ぐらいのレベル」と価格をつけた。

このあたりは大多数の人は別にこれを食らっても死にたいと思わないレベルのものだと思う。

ちなみに、鬱病の人はわりと死にたさに価格をつけることができると思うのでオススメしたい。自分の死にたさの価格が1億と判明したときのバカバカしさはすごい。

一方で「あの人が生きていないから生きている意味がなくて死にたい」とか「強姦されまくって逃げることもできない死にたい」とかは、もう計り知れないほどの苦しさだと思うので、解決方法もなく、死を選ぶのも仕方がないレベルになると思う。

自分から能動的に死ぬことを決断しないと、緩やかに環境から殺され続ける

ぼくはあまり自殺などに忌避感はないので、「自殺?いいんじゃない?でもなんで自殺したいの?生きることはできないの?まあ別にどっちでもいいけど」と思っている。

もちろん妻が自殺しようとしたら全力で阻止するけど、その他の人が自殺しても「あ、そうなんだ。なんかあったんだろうな。大変だったんだな」と思うぐらいで、「自殺はダメだ!!」という思想は持ってない。

だってそれしか解決方法がなかったのならしかたないんじゃね?って思う。中には「それくらいで死ぬなよ。解決方法たくさんあるだろ」というケースもあるけど。

死ぬことで問題が解決できることもあるし、何の救いのない話だけど、これ以上つらい目に遭う必要がなくなるのなら、自殺は一つの選択肢としてアリだと思う。

少なくとも「生きろ。この先もずっとつらいまま生き続けろ」って無責任に言うよりいいと思ってる。なんかそれはひどいと思う。

でももしかしたら「死にたい」と思う人の中でも、あえて死ぬ必要がない人もいるかもしれない。

「死にたい」という人でも、自分で生死を選択できる状況で「まだ死んでない」ということは、まだ生き続けたい何かが実はあるのだと思う。

その状態で、能動的に「生きる!!!」「死ぬ!!!!」を決めないと、「死にたいと思いながら生きてる」となって、すごくつらい。どうせこのまま生きてもつらいなら早く死んだほうがつらくないと思う。

なのでもし、

「なぜ死にたいという気持ちが起こったのか」
「なぜ死ぬことが私にとってのベストアンサーなのか」
「もし生き続けられたらやりたかったこと」
「死ぬ前にやっておきたいこと」
「具体的に何日の何時何分にいつどのように死ぬか(ロープで自殺するなら結び方はどうするべきか・どこで買うか・どこで吊るかとか、崖から飛び降りるならどこの崖にどの交通手段で行くか等)」

などを整理して「あれ、自分それほど死にたくなくね??」と思ったら、死にたいという気持ちはおそらくまやかしで、生きたい気持ちも結構あったりするはず。

そういう場合には

「こういう人生だったら嬉しいのに今はそうじゃないこと」
「問題を解決・環境を変えるために死ぬ以外にできそうなこと」

なども整理すると、一気に生きる方向に持っていける。とにかくこの時点で「あー、自分って死にたいわけじゃないんだな」と感じられればいいと思う。

ただ、死にたいときというのは、まずこの「自分の感情を整理する」という行動を取ることが難しい。めんどくさいしエネルギーも使う。

「ただ死にたいし、それ以外あまり考えたくない」という重度な状態もある。

死にたい気持ちが先行してしまって、「とにかくもう死にたい」「死にたいと思うことをやめられない」みたいなパターンもあるはず。

こういうのは文字だけで助けることはできないので、周りにいる人がケアすべきだと思う。まあ基本そんな人たちは存在しないんだけど(救いのない話)

それにもちろん、中には整理した段階でも「やはり死のう!」と思う人もたくさんいると思う。

ぼくには、すでに死のうと決めた人の行動を阻害する勇気はない。口だけで解決できる問題じゃないし、基本的には自分の人生には関係ないので、同情はしても、その人の人生に立ち入ろうとは思わない。

でも、どうせ死ぬなら、自分の決断に自信を持って、ポジティブに死んでほしいと思う。

ネガティブに死んでいくのは悲しい。

生きる方を選んだあと

死にたいときには選択肢は3つあって、「生きると決めて生きる」「死ぬと決めて死ぬ」「死にたいと願いながら生きる」があると思う。

死にたいけど生きている人の多くは、3番目の選択肢を、好きか嫌いかは関係なく選んでいる。それは学習性無力感からくるものであったりするけれど、実際には能動的に「保留する」という選択肢を選んでいるのだと思う。なので余計つらいはず。中にはこれ以外選べない、すごい不幸な人もいると思うけど……

でもせっかく生きるのなら、生きようとして生きた方が個人的にはちょっとだけオトクだと思う。つらいことは自分の力で跳ね除けたり、つらいことから脱出しなければいけないけど、ずっとこのままつらいなら、なにかを変えなければ、ずっと同じようにそのままつらいだけだと思う。

そのときに、自分の最悪な環境を嘆いたところでなにかが変わるわけではない。基本的に自分を助けてくれる人は「自分を助けてくれるような人」しかいないので、自分からなんとかするしかない。もちろん誰かに相談するとかもアリだと思うけど、社会や世間は基本的に誰も何も救ってはくれない。

ただでさえつらいのに、自分で行動してつらさを跳ね除けなければいけないのがつらいところだ。

ただ、どうせつらいなら、「つらさを跳ね除けるつらさ」を甘受した方が楽だと思う。

そして、いざ生きる方を選んだのなら、死ぬことなんか考えない方がいい。考えないのが一番いい。死にたいと考えるだけで闇落ちしてつらくなる。

生きる方を選んだのに死ぬ選択肢も含めて悩むと、後退するだけでなんにもいいことはない。(もちろん、死にたい人が死にたいことを考えないのは、そういう思考の癖がすでに構築されてしまっているのでむずかしい。でも、考えるな)

ひとたび「生きようとして生きる」ほうを選ぶと、わりと周りの景色が変わる。

死にたいときに見る窓ガラスは、死ぬための凶器になりうる物質にすぎないけれど、生きようとしたときに見る窓ガラスは、外の景色を移す透明な板に見える。

参考: ぼくが死にたいと思わなくなった理由

ぼくが死にたいと思わなくなった理由はいろいろあるけれど、まず大きいのは

「死ぬのも死ぬのでつらい」

ということで、死ぬのは普通につらい。そもそもそういうふうに人間ができてないので、恐怖とか痛さとかがはんぱない。

生き続けるのもつらいけど、死ぬのもつらい中で、どちらかを選択しなければいけないのは本当に苦痛でしかない。

でも生き続けるつらさは可変なことも多い。そういうわけで、ぼくの今は生き続けることで発生するつらさよりも、死ぬつらさの方が断然格上なので、死にたいと思わない。

ぼくの場合、「生きたいポイント」が増えたのは、「総労働時間の低下」「所持金銭の増加」「社会的地位の上昇」がかなり大きい。あと妻もできて、全体的な幸福度が上がった。

ぼくは地方に住んでいて古い価値観に囲まれて死にたかったけど、東京に出てきて死にたさが低下したので、環境の変化が劇的に変化をもたらすことも多いと思う。

地方で死にたいと思ってる人は、死ぬ前に都会に出てきてもいいんじゃないかなと思う。

もちろんここに至るまで順風満帆にきたわけではなくて、地道に「なぜ死んだ方がいいかの理由」を少しずつ消して「なぜ生きた方がいいのかの理由」を増やせたからだと思っている。

あとは

「人が死ぬことはそれほど重大な問題ではない」
「死にたいと思ってるやつに食われる牛とか魚の気持ち考えたことあんのか?????」
「自分が死ぬぐらいなら原因となったやつを殺す」

と思ったのもあって、死にたさはどんどん消えていった。

特に、死にたいと思ってるやつに食われる牛や豚というのは本当に不憫でしかない。

おわりに

そういうわけで、この記事が誰かの何かの活力につながることを祈ってます。

それから、「この記事のおかげで死ぬ決心がつきました!ありがとうございます!」とかそういうのだけはやめてください死んでしまいます。